ごまの日記

家庭の話やYouTube、本、ゲームの話をします。

もっと気楽に

こどもの、とくに上の子の話を外でする時

必要以上に力んでいる自分に気づきます。

 

たまたま、手帳の話をする機会があって

なんかうまく話せなくて。

 

色んなことに対して不器用であること

手帳を所持していること

もっと気楽に話せたらいいのに

重い空気にならないかな?って

へんに明るく話そうとして

逆に空回り。

 

症状やできないことを話せば

大変だろうなと思われるかもしれないけど

なんか本質と離れている気がする。

本人も私達も幸せだから。

 

だから手帳の更新とかさ

心療内科の通院とかさ

必要あるのかな?

うちくらいのレベルで申請していいのかな?

時々思ったりするけど

たぶん相対的に見たら

やっぱりフォローは必要なレベルなんだろう。

家族の中だけだと忘れがち。

手帳も通院も、今よりもっと先に

困り事が顕著になったときに助けになるから。

だから、いまできることをしてるんだよな。

と、書きながら思い出しました。

 

それでも病院とか行政以外のところでは

できないことばっか話す必要はないんだよな。

子供のできないとこ話すのってしんどいよ。

だから学校の面談も疲れる。

でも、ちゃんと伝えないと支援してもらえなくなっちゃうから、できないことを並べなきゃいけない。

それがつらい。

 

家にいれば、家族思いのいいお兄ちゃん。

漢字を書くのが苦手。

でも、一生懸命、漢字辞典見て調べたりできる。

おなじように書き写せないけど

書けていた字が、急に書けなくなったりするけど

頑張り屋。

 

社会にとってはフォローが必要な子だけど

家族にとっては本当に優しくてにこにこしてて

たまによく分かんないことで怒ったり泣いたりするけど

好き嫌いなくたくさん食べて

ゲームもちょっとずつ上手くなって

みんなに愛されてるし、自信を持ってる。

 

だから、困ってることありますか?って聞かれても、大丈夫かな、という他ない。

 

勉強面とか、将来のこととか

先のことは分からないから

どんな子でも平等に不安でしょう。

 

ただ、前向きに

自分のやりたいこと、趣味があれば大丈夫。

うちは今のところ大丈夫。

 

日々の各所への手続きはたしかに面倒だけど

他はなんにも困ってないのだから

友達にも職場にもふつーに話せばいいんだよ

下の子のこと話す時みたいに。

力む必要なし。

 

私がしんどいなーと思うのは

本人がニガテに直面する時

できないことがあるとき

妊婦だったときのじぶんを思い出して、後悔する。ちょびっと。

これは家族の誰とも共有できない

個人的な、一生消えない気持ち。

きっと、事情のあるお子さんを産んだ母親なら一度は抱いてしまう感情なのかもしれない。

私の場合、何がいけなかったかなんて証明できないけど、褒められた生活でなかったことは自覚している。

だからひたすら反省。2秒くらい。

後悔しても意味ないし

私は私の人生を楽しむ努力を惜しまない。

息子にも息子の時間を大切に 楽しく過ごせてもらえたらいい。

 

そんな息子は、花粉症のせいか

目が痒くて、頭痛を訴え、小児用バファリンを服用したけどあまり楽にならず早めに就寝。

 

頭痛の訴えも、随分まともに伝えられるようになった。

ちょっと前まではどこの痛みもぜんぶ「お腹痛い」としか言えなかったのに。

 

年相応なら当たり前のことやむしろ幼いことでも、息子ができるようになるとすごく成長を感じて涙したりする日々です。